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2017
Instaration
逃避について考えた作品。
いつからか、身近に筋トレをする人をよく見かけるようになった。異様ではあったが、皆誇らしげであり、私には、その光景がある種の修行のように見えた。
修行といえば、日本において有名なのは山伏であるが、古くを遡ればヒンドゥー教のサドゥの一部が始まりのようだ。彼らの修行(苦行)はとても独創的であり、インドを前転で横断する者、何十年も左手を挙げ続ける者など修行の形態は様々だ。
そうしてみると、今私の前にいる彼らが新たな逃避の実践者のように見えてくる。
「そうだ、私も私のインスピレーションに従い逃避の実践をしてみよう。」
彼らが、ジムに通うのを見ながらそう思った。
introduction
10:00-17:00までの7時間、竪穴を掘って、そこに埋まる、山中は薄暗く、案外様々な音が聞こえてくる。土は冷たいが、風が全く当たらないので暖かくも感じる。
「修行のベースにあるのは前向きな我慢だ。」
この実践を始めたときから、やり遂げることが最大のモチベーションであり、穴を掘るときから、それに取り憑かれ、おかしな話だが疲労感に快感を覚えた。
conclusion
次第に、ただ目の前の辛さと対峙する時間が増え、漠然としていた、逃避の対象について考える時間が減った。本来の逃避とかけ離れてた意識に移行していく。
しかし、埋まってる間は、逃避している実感が確かにあった。
あれは、なんだったのか?
狐につままれた様な気持ちで、自身の修行を振り返る。
逃避を試み、始めた実践であるが、映る姿はさながら社畜の様でもある。結局逃避とはなんだったのか…
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