許された1日
Forgiven One Day
2022
Single channel video
2020.09.21
おはよう 今日の調子はどう?
私は、今目がすごく目が冴えてしまっているので寝るのが遅くなるかもしれません。 なので凄く疲れているかもしれないけれど許してください...
コロナ禍で身動きが取れなくなった2020年から私は、私自身に手紙を書くことを始めた。 それは、同時期に環境の変化からか、体調を著しく崩した私自身への回復を考えて行った試行錯誤の1つ で、私自身の内にある気分をどの様に捉えていくかの実験だった。 凄く漠然として曖昧な『気分』という物は、ときに気持ち一つでどうにでもなるものとして存在しているように感じることがあるが、私の中に凄く大きな物として内在していて、多くの場面でその瞬間の判断や私自身の物の捉え方に大きな影響を及ぼしている様に思う。 特に体調を崩してからの私の気分の変調は著しく、まるで二人の人物が一つの体を共有している様だったこともあり、この浮き沈みする気分を捉え直すことが私にとっては急務だった。
2020.04.17
今日からあなたに手紙を書くことにしました。 その時の貴方を私は知りたいので、ここではなるべく本当のことをお互いに語りましょう
手紙という形式は、相手を想像しながら書くことに適している。 遠い誰かに書かれた文章には書き手の気分が乗る。それはリマインダーには存在しない手紙のいいところだと感じている。
人間の気分の推移を見ることは出来ない。それは他人はもちろん自身ですら見えることはないのだろう。
私たちは、他者の視線や動き、自身においては体調等から想像する他ないものなのだと思う。
今の私は今の気分のもとに生きているし、昨日の私は昨日の気分の元に生きていた。私は明日の私の気分を想像することしかできない。きっと他者に対してもそうなのだろう。
この作品は、2020年から日記を手紙に置き換えて私と私の手紙のやりとりをする実験をモチーフとして制作した。その日の気分によって書かれた手紙は、お願いであったり、体を気遣うものであったり様々で、それはときに私を動かすこともあれば、無視させたりもする。お互いのことを想像し書き綴りながらすれ違いを繰り返し、相手をわかった様な気になりながら自己同一性を解体し、時々の自我、意識に焦点を当てることで、同一性を欠いた自己の見つめ方を模索した。
映像
https://www.youtube.com/watch?v=ogi7pvPAwNw